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病状が安定し在宅医療を引き受けるとき

どこまでが治療でどこまでが延命?(2)

以前、「どこまでが治療でどこまでが延命」のタイトルでブログに掲載しましたが、その続編です。

病状が安定し在宅医療を引き受けるとき、胃瘻造設や中心静脈栄養カテーテルを留置して自宅に帰られる方を多く診ますが、神経難病の方は別にして、本当にそのような処置が必要なのか考えさせられることが多くあります。

十分な説明の元、家族の希望や本人の希望があれば適応はあると思います。私もかつて胃瘻造設し今も在宅で診ている方がいます。定期的に胃瘻カテーテルを交換していますが、本当にこの方にとってよかった処置なのか自問自答することがあります。

以前まで、在宅で末期がん患者さんを診るとき、食事摂取ができなくなったとき全例に右大腿静脈から中心静脈栄養を開始していました。しかし、多くの経験を積み重ねるとむしろそのような処置はかえって患者さんを苦しめることであり、周囲の家族・介護者と医療者が安心するためだけの処置ではないか、患者さん中心の医療ではないのではないかと考えるようになりました。最低限、定期的な末梢から点滴(持続点滴ではない)、持続皮下注射で患者さんの苦痛緩和を図ることのほうが患者さん中心になっているのでないかと考えるようになりました。

私は父を肺がん(64歳)で亡くしています。当時私は大学病院勤務で父の主治医でした。自宅に帰りたいという父を退院させましたが、お願いする在宅医もおらず死後連絡を受け急ぎ死亡確認に帰りました。また、義理の母を市立八幡浜総合病院で亡くしました。当時娘が同院で研修医として働いていましたが娘が看取りました。本当は在宅で私が看取る覚悟でいましたが、いろいろな事情で市立病院に入院しました。あとから、もっとベストなかかわりができたのではないか、身内であるがゆえにおろそかになっていた部分がなかったのか、娘に余計な負担をかけたのではないか、今でも自問自答しています。このような体験がいまの在宅医療に取り組むモチベーションになっています。

超高齢社会に突入し、長寿になったがゆえに「認知症」「がん」の発症は自然の生理でもあります。昔は「認知症」「がん」になる前に、感染症や心・脳血管障害で亡くなっていました。 これからのプライマリケア医にとって、病気を治す医療から、障害者を支える医療に考え方を転換する時期に来ている
のではないでしょうか。


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